2015年12月23日水曜日

伊藤重平先生《カウンセラー養成講座》(第1次講座 第5回) 1988年10月27日

(第1次講座 第5回) 1988年10月27日

問題を持って悩んでいる人がクライアント。それに立ち向かっている人がカウンセラーです。悩みを解決するための対話がカウンセリングです。子育てにおけるカウンセリングの問題を中心に講義を展開していきます。それは人間関係の悩みを解決することでもあります。大人の問題の解決に役立っていることはいうまでもありません。
どういう場所が良いか、他の雑音の入らないところ、声がほかに聞こえないところが良い場所です。面接は親だけに会う場合もあります。親だけに会っても子どもの行動が変わり成功することがあります。子どもの行動は環境によって変化するからです。環境には自然物理的、文化的、社会的環境があります。カウンセリングの場合、社会的環境に限定しています。人の行動は環境が変わると行動が変わるという法則があります。好ましい方向に向くために子どもの環境を変えていくと成功します。両親に会って対応することによって好ましい環境に変えていきます。今まで始終叱っていたのを止めて褒める方に変えるとき、子どもの環境が激変します。両親に会って子どもへの対応を変えてみるようにすすめます。それに成功すると子どもに会わなくても子どもは全く変わってしまいます。  
親に会って話すとき、時々真実が伝わっていないことがあります。故意にではなく、まちがっているのです。そこで子どもに面接する必要の生じることがあります。カウンセラーのところへ親が子どもを連れてきます。連れてくるということは大変なことです。「ハイ」といって来る場合はまれです。子どもを連れて来ることができるのは、半分ぐらい良い人になった時です。子どもから見て愛してくれる人、少し愛してくれる人、そのような段階でついてくるようになります。手と足を縛って車に押し込んで無理やりに連れて来た例があります。問題行動の子どもはみなお父さんお母さんが嫌いです。なぜでしょうか。愛してくれないと思っているからです。お父さん、お母さんが嫌いなカウンセラーなら行っても良いと思うのです。
感情転移とは、ある人に感情が向けられたとき、似ている人、関係ある人に向かいます。お母さんが良い人だと言う相手は信用しません。人類はみなそうです。両親と一緒に相談に来たときは最悪の状態ではありません。どうしても来ないケースが半分以上です。お父さんお母さんが子どもへの対しかたを変えたとき、初めて子どもはついてきます。そういう子どもに「良く来ましたね」と褒めます。するとたいていの子どもは同じように答えます。「僕は厭だったけれど、ここ2、3週間お父さんもお母さんも優しくなった、だから僕も言うことを聞いたんだ、親が良くしてくれるのに言うことを聞かないのは義理が悪いでしょう」と。
  心理学的に子どもの行動は環境と相関関係にあります。それに反することは存在しません。子どもの行動に見合う父や母が家にいます。「小さいときから強情で、多分生まれつきでしょう。あの子は丑年の生まれだから」一般的にそう考えますけれど違います。「お母さん、それはどういう気立てですか」「私も強情です。私も小さいとき親からおまえは強情だとよく言われました」カウンセラーは判断の間違いを訂正していきます。「それは関係ありません」「そうですか、関係ありませんか」。確信を持ってはっきり言います。血液型と関係づける人も時々います。はやったことがあります。そのカウンセリングの流れが今でもはやっているのです。  
2+2=5ではありません。事実認識、因果関係を訂正することは裁くことではありません。「違いますよ4ですよ」と訂正します。「どうして5になるのですか」と言うと裁くことになります。紙一重の差です。教える言いかたと、裁く言いかたとは表現方法が違います。それを混同しないことです。「タバコなんか吸うんじゃない」裁く、叱る、怒る、注意する、同じ系統です。タバコを吸う子どもには「タバコを吸うと大事なからだが悪くなりますよ」因果関係を教えたのです。「それをやると法律違反で先生に、お巡りさんに叱られるよ」注意ではなく教えたのです。「タバコをやめなさい」命令形で裁いています。クライアントは間違った考えをどんどん正していきます。その都度〝I think″「違うと思いますよ」と訂正していきます。「どうしてそんなことを言うの?」は裁いたことになります。
 「 難産でしたか?安産でしたか?生まれた時喜びましたか?」「仕方なく産みました」仕方なく産んだ場合、子育てが難しくなります。その子に対して良い感情を持たないことがあります。その感情が続くとき愛情が欠けてきます。「いいえ、あんまり嬉しくありませんでした」と話すことが時々あります。なぜ嬉しくなかったか、「大嫌いなおばあちゃんにそっくりでいやだなあと思いました」。 姑に向けた感情が子どもに転移するのです。心理機制といい、心の仕組みで、防衛機制ともいいます。心を守る、反射的に警戒する。自己防衛、自分を守るために人間関係においても毒きのこから身を守るような働きがあります。「なんとなく小さい時から嫌いでした」という親がいますが、気が付かずに虐待します。なぜなんとなく嫌いになったか、もとの所を追及していきます。途中で姑との関係が出ることもあります。おばあちゃんがかわいがると憎らしくなってくる。家庭が円満でないとおかしい子ができるとはそういうことです。家庭の愛情問題が子どもに波及します。
悪い行動をしている子どもが叱られるとき、だれもその子の言い訳を認めてくれない。カウンセラーは悪い環境を救ってくれたから子どもはカウンセラーに感謝します。中学生がうらみを先生に抱いて眠れず勉強もできなくなっていました。その子が手紙をくれました。「私のカッカとするうらみの炎を先生は消してくれました。私はやっと落ち着いて勉強することができるようになりました」カウンセラーはうらみの炎を消す消防士の役目をします。
  遺伝ではないものを遺伝と考えます。盗みの筋ではないか、そっちの筋を引いたのだと一人でそう思い悩んでいて、それをカウンセラーに言うようになります。「なんでも本当のことを隠さないで話して」とそんなことを言うと余計言わなくなります。言えと言うのでなくこのカウンセラーは今まで会った人とは違う、優しい人だ。今まで会ったことが無いと思わせる対話を続けることが大切です。こういうふうに思えるようにする、そこが一番の秘訣です。どうすればそうなるか、それはクライアントの言ったことを決して裁かないということです。善悪の判断をしてとっちめない。小さい時から叩いてきた。私も小さい時から叩かれてきて今度は自分のやる番だぞと、そういう思いが心の奥にあります。意識的にはやっていないがその論理でないと解決できません。「私は叩かれてきたけれど社会的には責任ある立場についているし、どうみても平均以上の人間になっているではないか。あの子が叩かれてそうなったというのなら、何か生まれつきの原因があるのではないか、あんな子を生んだと思うと腹がたってたまらない」と自分自身解決がつきません。「それはご立派なことですよ。今あなたがご自分の子どもにそれをやってあなたのお子さんは平均以下の子どもになっているでしょ、あなたがやってこられたからこうなったのです。お父さんが厳しくあなたを叩いたというけれど叩きっぱなしでは今のようにはなりません。あなたのお父さんは優しくはありませんでしたか?」「優しかったです」「それではあなたのお母さんはどうでしたか?」「お母さんは優しかったです。お母さんは甘いからと、お父さんに叩かれました。お母さんは底抜けに優しかった」「あなたは毒のようなものを飲んだけれど、毒消しをしたのでそれで消えたのです」「今初めて分かりました。やっぱり叩いてはいけませんね」それでバタッと子どもが変わりました。
「おまえが甘いからこういう子になる」「おまえもけじめをつけて叩け、それでなければ母親の甲斐がないではないか」「きちんとけじめをつけろ」「それでお父さんと同じように厳しくしました」「そんな子はみんな非行に走ります。だれが生んだのです?」答えようがありません。訂正していくのです。今のようなやり方で。そのお父さんは長いこと間違えていました。そういう面で頭が良くなかった、ある方面で抜けていたのです。理論を持っていないと説得できないのです。何年たっても解決できません。カウンセリングマインドの理論を打ち立てました。誰でもそういうところをたどっています。間違ったところを訂正していきます。タイミングを外さないようにその時にするのです。「あなたが子どもを叩くのはあなたが叩かれてきたからです」「そうです」子どもを叩いて育ててきて、ぐれて初めて責任を感じるのです。たいていの子どもは「今更そう言っても遅いぞ、僕の18年の生涯をどうしてくれる。生まれ変わらなければ出来ないではないか」子どもは悩んでいるのです。親はノイローゼになり、子どもはゆるしてくれない。それをカウンセラーは始末をするのです。
  お父さんに対して「あなたのお父さんはそうすれば子どもが良い子になると思って叩いたのです。あなたも自分で良いと思い込んできたのですね。あなたは知らなかった、あなたの無知がやったのだ、人間は知らずにやる。あなたが悪いのではありません。悪意でやったのではないから。知らないで誰でもやっています。あなただけでありません」「神様は無知でやったこと、知らずにやったことを赦してくださるのです。イエスは父なる神に祈られました」。このように聖書に導くことができるのです。イエス様はそう言っておゆるしになった。そういうことばで軽くなるのです。
子供が10万円くれと言ったらポンとやりなさい。「たったこれだけで良いか」と言って。私を信頼する人はみなそのようにやってきました。あんな恨みを持ってお父さんを責めていた子どもが「お父さんも悪いけれど僕も悪いということはみな知っている」子どもはすっきりとお父さんをゆるすのです。お父さんの決心を認めて子どもがゆるす。両方がゆるしあう。劇的です。  
いくつもの例があります。愛という花が咲くのです。暗黒が深ければ深いほど光は明るいのです。カウンセラーはそういう場面を幾つも見ます。犠牲が深ければ深いほどそれに代わる真理を得て帰ります。叱ってはいけない。裁いてはいけないと知っていても自然にそうなってしまう人が多くいます。「この叩く手が止まりません」「人間とはそういうものです」と私は言います。「あなたばかりではありません。それはあなたのせいではありません。あなたは自分が叩いたと思うから苦しむ、それはあなたの中に虫がいる。それは怒り虫、虫の居所が悪いとあばれます」自分自身で苦しんでいる人をゆるすことばを与えます。「多分居所が悪かったのでしょう」八卦よみのように、学者のようにことばを相手によって変えてみるのです。親を責めてはいけませんし、学校の先生を責めてもいけません。
  あなたの家の子どもだけが登校拒否をおこしている、と言われればなんともいえないでしょう。「家の子はよそのお子さんと違って気が弱く、先生を恐がっています。何とか助けて下さい」そのとき先生を責めない「そうか気が弱い、それでは他の子どもと扱いを変えてみましょう」。「褒めてください」やっつけることば裁くことばを止める。どうしてよその子は叱られても叩かれても学校に行けるのか。一番大きい理由は親が子どもを育てるときにとっちめず叱らず裁かない、それに近い育てかたをしている家の子どもは登校拒否をおこしません。先生が恐い、なぜ恐いかというと先生に敵意を持っているから、先生をかたきにしているからです。許さない、敵意が強くなるにしたがって恐くなるのです。ゆるす理由を見つけてゆるすと敵意が消えます。子どもが親から愛情を受けているかどうかを試すのに「お父さんは恐いか、恐くないか」と聞きます。お父さんお母さんの愛情の程度を知ることができます。恐さの程度をカウンセラーは勘ではかります。愛情と反対のもの、その程度に比例して悪い行動が起きてくると心理学では言われています。
愛情の度を計る体温計は、なぜ愛情が冷えたのか、あるときどんなことが起きたか、成育歴はどうか、成績のこと友達関係、先生との関係、人間関係、家庭では、兄弟はどうか、記録にとっていきます。二回目の時はまだ聞いていないことを聞いていきます。お父さんと子ども、お母さんと子どもの関係、何らかのゆるしていくことばを与えなければ肩の荷が下りません。帰る前には必ずゆるしの言葉を伝えます。「肩の荷が下りました」「やってみます」「楽になった、希望が出ました」こういうことばで閉じるのが本当のカウンセリングです。聖書のみことばを入れて行くことにしています。ピタッとみことばが決まるとき「そうですか聖書に書いてあるのですか」と受け入れます。そのみことば一つでその人の心の中に信仰が入るのです。愛、みことばはみな愛。「愛の外に神は無い」

《午後の講義》
 すべての行動は場の関数、人と環境の関数です。子どものある行動は環境との相関関係を持ちます。環境を抜きにしての行動はありません。盗み、登校拒否、子どもがいけないのだと単純にいい切れません。その理論から子どもの良くない行動をゆるす理由が生まれてきます。ゆるすことができるのは理論的な背景です。ゆるさねばいけないと思ってもゆるせなくなるものです。場は人と環境です。人が変わっても環境が変わっても行動が変わってくるのです。人が変わるということも有り得ます。橋のふもとに白い幽霊が出るといううわさが立ったとします。そこを通る子どもはみな恐がります。幽霊が出るという環境だから子どもは恐がる。昼間見たら白いすすきだった。幽霊に見えても錯覚であったと分かると、環境は変わらないがその人は変わります。客観的な環境がその人の見方で変化するのです。人間関係でもそうです。「私が勘違いしたのです」人は変わらなくてもお父さんお母さんが変化すればその子の行動は変わります。両面から変わるのは確実です。
近代心理学者は、あなたの心がけが悪いから直すのだ。うそを言うな、とその子の行動を直そうと長い間考えていました。あなたの心が悪い、と長い間人類の歴史は努力してきました。環境を変えればその子の行動は変わることを発見したのです。その上に立ってカウンセリングの理論が展開されています。盗みをする子、勉強嫌いの子が良くなる。生まれつきの勉強嫌いの性質(たち)はありません。いかに愚かな考えかを科学が証明しました。うそを言う子はうそをいわなくても良い時にうそを言う。そういう子はうそを言わなくてはならないような環境にいるのです。心がけが悪いからうそを言うのではありません。客観的な環境はうそを言わなくても良いのにどうしてうそを言うのか。客観的な環境でなく心理学的環境で行動しているからです。両環境のくい違い、親の方と子の方とのくい違いを見いださなければカウンセリングはできません。 
環境に対する認識に誤解があります。その人の見えた環境において行動する。自分を守るためにうそをいう。不利にならないようにうそを言うときは警戒しているときです。まずうそをいって逃げる。見えた環境で行動しています。家裁で非行少年を調べました。検事の調書を裁判所は事実確認をします。どうしてそういう行動が起きるようになったか。調査官はそれを調べます。どうしたら直るか、どう処分治療するか調べます。
子どもの事件は、治療する立場から考えます。罰の立場からではありません。大人の刑事事件は、バランスを考えて罰を与えます。少年事件の審判は暖かく、前科にはしません。寛大な処分、何故かといえば子どもが原因ではないという認識で、処分されるとすればその環境ではないかという認識からです。
  両親、祖母殺しの事件がありました。夜遅く日本刀を持って駅を降りてきた16~7の少年を刑事は疑いました。住所、氏名、生年月日を聞きました。警察電話、専用電話で。本籍地を調べました。2~3分でそんな子はいない該当者無し、出身校も該当者無し。本当の話をしなさいと言ってもガンとして言わない。拘置期限が来て検察庁から家庭裁判所へ。検察庁は困りました。少年は家庭裁判所へ送られません。全部虚言で第三国人と推定されると調書に書いてありました。家裁で担当しました。手錠がはまっている。君のなまえは「~です」「~ですね。生年月日は、父の名は? 母の名は?」 警察でも検察庁でも同じことをピタリと言う。頭のよい子だと思ったが、かわいそうな育ちをしたなという思いがありました。嘘をいうような家庭で育ったのだな、虐待を受けたのだな、徹底した嘘を自然に言える。一生懸命涙が出てくるような感動でそうか、そうかと40分ぐらい書きました。そうしたら突然ワーッと大声をあげて爆発的な声をあげて泣き出しました。静まってから「どうしたの?」と聞いたら「先生のように良い人にまで嘘を言うようになったかと思って泣けてきました」「先生は良い人か?」「良い人です。良い人です」とワーッと泣きました。「私はそんな良い人か?」と重ねました。「私は褒められて嬉しくなりました」とその子を私は褒めました。「今まで言ったことは全部うそでした」と泣きわめきました。ちょっとやそっとでは動じない子です。意志も強いしっかり者です。愛の前では到底とびらを閉めておくことはできません。親切と寛容という愛があります。私はその人をゆるして聞いていました。そんな環境に育てば誰でもそうなるという思いで聞いていました。そうか、そうか、かわいそうにと、話したことを疑わないで聞きました。環境と行動は関数関係であります。
  正直に言えないという環境にありました。環境を変えると行動が変わるという証明です。「君は本当に正直な子だねえ」と言いました。褒める言葉はゆるす言葉です。ゆるしてやったぞ、なんていうのは芯のほうになにか残っています。「これからは嘘を言ってはいけないよ」真に褒めることは今までのことを全部ゆるしてやるということで、非常に深い愛です。心と一致していないのはだめです。「君は正直な子だね」「何が正直なもんか」と言いました。「小さい時からうそばかり言ってきた僕には正直なところなんかありません」「うそを小さい時から言ったことはないなんて言う子は大嘘つきだよ。それを正直な子だと言うのだ」そして初めて褒められて嬉しくなり、今までの罪の意識を皆この先生はゆるしてくれたのだと思いました。
講演では「子供を褒めて育てなさい」と話します。愛です。褒めること自身が愛なのです。褒めると愛を受けるから人間が変わります。そして初めから聞き直すと全部違っていました。親は公務員をしていました。本当のことを言うと公務員の親に影響があると思ったのです。始終叱られて育ちました。うそをいう我慢の忍耐袋が破れてしまいました。その子の責任でなく環境のせいです。運が悪かったのです。子どもは親を選んで生まれたのではありません。子どもは親も先生も選択できません。そういう環境に置かれる子どもにも運があるでしょう。どのようなカウンセラーに出会うかも一つの運です。宗教的にいえば神様の選びでしょう。神様があなたにそうして下さったのです。裁判官の名において処分無しで帰されました。憲法上それが行われました。
カウンセラーは自分にも愛を与えます。抽象的ですが、ゆるす愛と与える十字架の愛を。愛を受けた者は愛を与えることに容易になります。愛を与えることが難しくなくなります。自分が愛されていない人には愛するやりかたが分かりません。「頭がすっきりした」「判断がよくできるようになった」「顔が輝いてくる、美しくなる」「自分がゆるされた」「ああいう風に言われたら楽になったから、私もそういう風に言って上げよう」「先生がやってくれたように子どもに言って上げなくてはならないことが分かった」「だんだん楽にして上げることを言ってあげよう」「ちっとも怒らないで時々褒めている」「ああいう風にやらねばならないなと勉強になった」。

  いくら嘘をいう子でも盗む子でもゆるす。理由を見つけて。ゆるす理由を見つける人は愛の深い人です。知恵の無い人には愛がありません。十字架の教えは人間の罪をゆるす理由を父なる神が現実に歴史の上においてお作りになったことです。架空ではなく、観念でもありません。キリストの打たれた傷によってゆるされました。「私があなたをゆるしたようにあなたもゆるしなさい」聖書における至上命令です。カウンセリングとは楽にすること、重荷をとってあげることです。これを目標に対話をして行きます。聖書の言葉でいうと波の上を歩ける力ができるのです。祈りでも、神様、波の上を歩ける力を与えて下さい。波がだんだん低くなり、苦しくなくなり、みじめな感情がなくなります。そこまで波が静まるようにカウンセラーはクライアントを力づけるのです。ゆるす愛の根源は神から出ています。

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