2015年12月23日水曜日

伊藤重平先生《カウンセラー養成講座》 (第1次講座 第2回) 

 (第1次講座 第2回) 1988年6月28日

 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である」(ヨハネ15章12節)  
悩んでいる子どもたちや、お母さんをどうしたら救いだせるか。今日はカウンセラーの立場からの講義で、子どもの問題で悩んでいる人のためのものではありません。理論的原理に触れていきます。一回目は人の行動はどのようにして起きてくるかを話しました。今日はその続きを話します。
     B=F(P・E) BEHAVIOR=FUNCTION(PEOPLE&ENVIRONMENT)
   行動=関数(人と環境)
 登校しない、勉強をしない、盗みをする行動を直すのに、古い心理学はその人の心がけを直すように言いました。子どもは命令しても言い聞かせても直りません。今でもそうやっている人がいます。環境が変わると行動が変わります。
環境には自然、文化、社会的環境があります。社会的環境とは回りの人のことをいいます。人間関係が変わる程度に応じて行動が変わります。すなわちお父さんお母さんが変わる程度に応じて子どもの態度が関数関係において変わるのです。両親がどのくらい変わったか、どこでとどまっているかをカウンセラーは見ます。カウンセラーも学校もみな子どもにとっての環境です。カウンセラーが環境の中に入ると子どもの環境が変わります。お父さん、お母さんを好ましい環境に変えていくように導いていくのです。時間がかかる場合も、すぐ変わる場合もあります。両親の次には友達です。力の強い者ほど大事な環境なのです。環境を変えてもその子自身を変えても良くなります。命令して直すのではありません。カウンセラーがその子の環境となって対話することによってその子が勉強するようになります。友達の環境はそれほどではなく、影響力は弱いものです。悪い友達との関係をやめるように言っても止めるものではありません。多くは無駄な努力をしています。親は自分が原因だということに気がつかないのです。子どもを叱って責めている両親をゆるすやりかたに変えると、子どもの行動が変わってきて、両親が変わらなくても子どもの環境が変わることがあります。子どもが両親をゆるすようになっても子どもの環境が変わってきます。
接する人に対し腹が立ち憎らしくなることがあります。その人は憎らしい人のいる環境にいることになります。ある時その人が憎んでいた人を、勘違いしていたと思いゆるす解釈ができたとき、環境はそのままでも違った心理学的環境ができるのです。ものは見かたによるといいます。子どもが親の立場を理解し、いろいろな理由をつけて解釈する時、ゆるせるようになります。子どもの環境が変わってくるのです。カウンセラーは子どもに会ったときそういう仕事をします。行動の解釈をすると心理学的環境の変化が起きて来て子どもの行動が変わってきます。両親に命令をして行動を変えるのではありません。子どもを変えていくのと同じ方法で変えていきます。
  学校で困る先生に出会ったときも、子どもは両親の対しかたで直っていきます。カウンセラーが一番しっかり覚えていなければならない原理です。教育哲学者J・デューイ、『デモクラシー&エデュケーション』〝人は環境に支配されるが、しかし環境を支配することもできる。作り直すことができる(REORGANIZATION)ゆるせない環境の中でも人をゆるす。キリストはその真理をお示しになっています。逆境の中にあっても平安、耐える力をお与えになったとはそのことです。いじめられ憎しみを与えられた時、私もお返しをしようと思うのが自然です。裁かれれば裁き返すのが自然の物理的法則です。憎まれているのにゆるすことができる。そうすると環境が変わります。憎まれているのに恐くなくなります。
ある人から「姑がたいへん厳しい人で娘が家をとび出してきてしまった。恐い人でどうしても家に帰れない。解決の糸口がない」 との相談を受けました。どういうところが恐いのか聞きました。人を憎らしく、恨むようになると相手が恐くなるのです。相手を敵視すると恐くなる。ゆるすと恐くなくなるのです。恐いというときは相手が敵です。行動の解釈といいます。ゆるす解釈を教えました。娘はお姑さんのいうことを素直に聞いていない。お姑さんを仇のように思っていたのです。お母さんは娘の行動の解釈をおかしいと思い、お姑さんは恐い人ではないと思うようになったのです。敵視していたのが恐くなくなる行動の解釈をしたのです。
カウンセラーと対立するとき信用されません。信用しないクライアントを直すことはできません。イエス様は信じておそばに来た人をみな癒されました。信頼されるとき見事なカウンセリングができます。私(伊藤先生)を信頼して来る人、高い信頼をもって来る人は皆直ります。
  登校拒否でも盗みでも皆この理論で解釈できます。環境を変化させると出てくる言葉が違ってきます。父親にカウンセリングの場から出てもらうだけで環境が変わります。子どもに聞くとき、親が居るときといないときのギャップで程度を計ることができます。愛情の程度が分かります。
すべて存在するものは質と量において存在します。愛情が足りないといっても程度問題があります。科学が発達すると測定器ができるかもしれません。私たちの感じで測定していきます。「前は愛情がなかったです」と、愛情とはどういうものか。可愛いと思うことで、可愛げのないことをいうと可愛くなくなる。子どもがお母さんの行動の解釈の間違いをします。「お母さんがなまけ者だからごはんを私に作らせた」「お母さんはおなかが痛くて起きられないの。○○ちゃん起きてご飯を作ってね」と理由を言って頼めばよかった。子どもが人にしゃべりました。それで親はその子が憎らしくなってだんだんとエスカレートしていき、ついに断絶、お金を持って家出してしまいました。解釈を間違ったのです。ポイントはゆるす解釈と責める解釈のふた色に分かれます。ゆるす解釈をする人は愛の深い人です。責める解釈をする人は愛情の薄い人、恐い人、物事を悪く解釈する人です。カウンセラーは親と子に対してゆるす解釈を教えていきます。すると行動がガラガラッと変っていきます。それはやさしい気持ちからではない、感情でもない。知性から出てくるものです。判断に感情が出てきます。感情だけ変えようと思っても変えられない。〝感情を指導するものは理性である”
理性とは物事の正確な判断をするものです。カウンセラーはその間違いを聞いて判断し、親がそれを受け入れると変わります。冷静な理性で臨みます。判断を間違わない。根本的な判断を養う場面であるこのゼミは、労力がいり疲れます。疲れない方法は公式を覚えることでいちいち考える必要がありません。公式で行くとくたびれません。碁の定石を覚えた者が考えないように。心理学の公式に当たるものは聖書のみことばです。そのときに合うみことばを引いてくるだけの勉強は必要です。「私は真理です。いのちです」(ヨハネ14章6節)キリストのおっしゃったみことばには真理があります。
 心理機制とはこころが動いていく一つの仕組みです。レールの上に乗ってこころが動いて行くメカニズムです。それを知ると人間の行動が理解しやすくなります。なぜそうするか、理由が理解しやすくなります。感情転移の心理機制、人はある人に向けられた感情を次々に他の人に向けていくことがあります。何か腹がたつことがあると他に向ける。大低の人は他の人に当たります。誰にでも向けていくわけではありません。向けて行くルートがあります。
①そのものと外形上似ている人 
②関係のある人 非合理的で、何とも説明しょうがないもので多かれ少なかれ誰にでもあるものです。
  困るようになった子どもはたいていお母さんが嫌いです。そのお母さんが好きな先生といったら子どもは嫌いといいます。子どものニーズを満たし、親切にし、愛情をかけてあげる。その時に言ったことばに子どもはついてきます。第一課は、子どもをカウンセラーのところに連れて来るのは後回し、子どもがお母さんを好きになるまで待ちます。全部今までのやりかたの反対をすると正常に戻ります。お母さんが私(伊藤先生)の本を読んで勉強をしてやりかたを変えた時期と一致しています。お母さんがガラッと変わったとき、子どもは良いお母さんになったと言います。
 何人かいる子どものうちその子だけ反抗する。「あの子だけ私の性分に合いません」嫌いだとは言わないけれど気が合わない。小さい時から、三つから、生まれた時から、「なぜ性分が合わないの?」「あの子の顔が生まれた時からお姑さんとよく似ている。その時から嫌いになりました」 外形上似ていなくてもおばあちゃんにかわいがられた、とだんだんその子が嫌いになります。嫌いなおばあちゃんがかわいがるから。感情転移です。円満でない家庭によく問題が起こるのはそういう心理機制が働くからです。「家庭は円満ですか?」と聞いたら答えにくい。「お姑さんはどんな人ですか」「難しい人ですよ」と言う時円満でない家庭です。外の子と差別をつける。お嫁さんとおばあちゃんが円満な家庭は問題が起こりません。母親は気がついていないが、子どもに聞くとよく分かります。子どもではなく親が先です。難産で生まれたから嫌いということもあります。カウンセラーは勘違いを直す仕事をします。
  投影・投射 (PROJECTION)とは心の中にあるものを外に影のように映す仕組みです。映されたものから心の中にあるものを察知します。絵を見せてテストします。ケンブリッジ大学ジャクソン博士が発明した絵です。子どもは恐怖感の経験を持っています。親に対するお返しです。その人の父親が必ず暴力をふるっています。自分が厳しく冷たくされたから自分がやられてきたように子どもにもやるのです。
自分の心が外に見えてくるのがプロジェクションであり、詩にもなり、文学にもなり、ダビデとナタンの物語(サムエル記上20章)となります。



(第1次講座 第3回)は欠席のため欠

0 件のコメント:

コメントを投稿